くろまめさんの内緒話の2回目。
基本的には独りで考えたり思ったりしていることを文章にしてます!
読んでくださる方の役に立つかはわかりませんネンというStyleで今回もやっていきます!
ひろゆき氏(2ちゃんねるの人)が
「そもそも、仕事というものは、”面倒臭いこと代わりにやってあげること”なので、仕事にやりがいのないのは当たり前のです」
と、言っていました。
たしか、岡田斗司夫さん(プロデューサー・評論家)も、
「楽しい仕事は給料が安くて当たり前。
むしろバンドマンや劇団員は、持ち出してやるのが当たり前の世界です」
と仰っていました。
なるけつ。なるけつ。
たしかに、僕も、税理士さんに経理全般をお願いしているのですが、それは自分でやるのが時間がかかるし、めちゃめちゃめんどくさいからです。
「めんどくさいことをお願いする代わりに、対価としてお金を払う」
=
“仕事として成立する”は納得できます。
そうなると…
仕事でやり甲斐を感じることなんて無理ゲーという気がしてきました。
仕事をしていて、楽しかったり、やりがいがあると思えることの方が実は奇跡かもしれません。
介護はどうでしょうか?
たしかに同じことが言えるかもしれませんね笑
親の介護だったりが大変だったり、めんどくさい?かったりするので、それを人にお願いする代わりにお金を支払ってもらって仕事として成立しています。
人によっては
「介護なんて。そんなことようやるわ」
と、言う人もいると思います笑
でも実際に介護をやっていて、素直に
「やっぱり介護ってすごいなぁ」
と染み染み思います。
よく考えてみると…
例えば目の前のに、寝たきりの人がいたとします。
介護の視点がなければ、もしかするとその人は、病人みたいに一日中天井をみて寝ているだけかもしれません。
病人みたいにベッドの上で朝昼晩の3食を食べたり、お風呂に入らずに清拭だけだったり、排泄はいつもオムツ。おトイレにも全くいけないのが当たり前かもしれません。
そりゃそうです!
介護の視点がないとそうなるのが当たり前です。
でも、僕たち介護の手にかかるとどうでしょう。
ベットに寝ていた人が、椅子に座ってテーブルを囲み、ワイワイと楽しくあったかい食事が食べられます。
お風呂だって湯に浸かるのは当たり前!むしろ最高の贅沢、檜風呂です。
毎回トイレに座るのが辛い人だったとしても、朝食後だけとか、便が出かけている時だけでも座って排泄。めちゃめちゃスッキリします。
これだけでは終わりません。
昔から培ってきたことを若い人に伝えることもできるし、会いたい人に会いに行き、昔を懐かしむこともできます。
こんなに長生きしたのに初めて!という事ができるかもしれません。
時には思わず涙して喜ぶこともありそうです。
人としての最後、お別れのときには、大切な人たちと大切な時間の中で逝くことができるかもしれません。
これってやっぱり凄いない?と、自分たちでやっていて感心するのです笑
そして今、くろまめさんは、一歩進んで、寺子屋という活動を通じて、同じような価値観を持つ人たちと時間を共にするコミュニティーを作り始めています。
参加してくださる方々と作るコミュニティーは毎回、笑顔あり涙ありのステキなものとなっています。
それはもうめちゃめちゃ楽しいです!!
あれ??
めんどくさいこと=仕事だったはずなのに、
なんだかめちゃめちゃ楽しんでいる今日この頃です。
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